エグゼクティブインタビューVol. 8-前編:株式会社システムソフト吉尾春樹社長 「新卒はIT未経験者も採用。コミュニケーション基礎力が大事」

リーダーはいかにしてリーダーになったのか。
リーダー自身の言葉からその理由を紐解くインタビューシリーズのVol.8では、吉尾春樹氏に話を聞いた。最近ではITで不動産業界に新潮流をもたらし話題を集めている「システムソフト」の代表取締役として指揮を執る吉尾氏は、意外にも法学部の出身。IT業界へと足を踏み入れたきっかけを初め、若いビジネスパーソンには特に参考になる仕事の醍醐味や核となるスキルまで、自身の失敗談も交えながら語っていただいた。前編では、学生時代の経験からキャリア全般、システムソフトでの人材育成についてお聞かせいただいた。

理系のサークルに飛びこんだ文系学生時代

IFLATs(以下、I)現在のキャリアにつながる大元の出来事から教えてください。

吉尾社長(以下、Y):私は法学部卒の元文系です。長崎出身で高校3年の頃、大学が決まって上京するまでの1~2週間に、せっかく東京へ行くし田舎ではできないことをやりたいと考えていました。ふと、本屋さんでコンピューターの雑誌が目に入りました。コンピューターなんて長崎では見たこともなかったので、大学生活で少しやりたいなと。入学し、文化系ですが、理系のサークルに入りました。そのサークルは、大学院生もいて意外と面白く、自分が思ったことをある程度実現する、姿が見える、という意味でコンピューターを使うようになりました。日本でパーソナルコンピューターが出たか出ないかの時期でしたが、親に無理を言って入学祝いにApple Ⅱというコンピューターを買ってもらいました。当時はまだ世の中で使っている人が少なかったので、私みたいな本当に未経験の人間でもすぐに頼られるぐらいのレベルまで到達できました。

I:パソコンの黎明期に触れたことは、今の吉尾さんを形作る意味でも大きな経験でしたか?

Y:高校まで普通に文系で、大学のサークルでハマったのが今のベースになっていると思います。IT業界が急速に変化する時で、日本では始まったばかりでしたので、どんどん新しいことを試していました。例えばサークルでは、喫茶店などに当時置いてあったテーブルゲームを作ってみたり、プログラムをバイトで作ったり、非日常に近いようなワクワク経験が次々にあった。コンピューター業界が出来上がっていく姿を自分で経験したので、出来上がっていく楽しさを味わいました。今の社員にも少しでもそういう経験をしてほしいし、場を与えてあげたいと常に思っています。我々は何もなかった時代で、出来上がっていく過程がすごくはっきりわかったのですが、今は、ITでもあらゆるものが用意されています。工夫の余地がないわけではないけれど、作業のようになっている部分も大きく、知恵を絞るよりも早くきちっとやれという雰囲気が強いと思います。だからこそ、作り上げていく経験をさせてあげたいと思います。チャレンジ社長賞も作っていますが、なかなか若い人には届かなくて。何人かはそういうものに対して響いてくれるので、挫けずにやっていく必要があるのかなと。

I:サークルでの経験がキャリアスタートのきっかけというのは面白いですね。

Y:そうですね、正直コンピューターに何の関心もなかったですから。本屋さんでふと立ち読みしたら面白そうで。今からこういう時代になるのだと思ったのがきっかけですから、不思議ですよね。その時本屋に行ってなければ、こういう業界にいなかったでしょうし、巡り合わせでしょうか。

大手企業からの転職と現在までの歩み

I:大学卒業後はどのようなキャリアを経られたのでしょうか?

Y:大学卒業後はNECに就職しました。いわゆる情報系部門に10年ぐらいいました。当時NECはコンピューターで急成長しており、何兆円という予算規模のすごく元気な企業だったので、非常に優れた方が大勢いて面白かったんです。しばらくして、(企業規模が)大きすぎるなと思い始めました。私は予算編成や長期計画をする部門にいましたが、先々のやることがわかってしまう。各部門から出てきたものを調整して、最後に社長にプレゼンテーションするので、こういう流れがあってこの時期は忙しい、この時期は暇だということも大体分かってしまいます。中身自体は非常に面白いし、NECもどんどん伸びていた時なのですが、これをずっとするのもどうなのかなという気持ちもあり、もう少し現場が見えるところで仕事をしたいと転職しました。
当時は転職が多くない時代でしたが、今のシステムソフトに移ったんです。家内にも内緒で勝手に転職して、えらく怒られました(笑)。当時、システムソフトは非上場の会社で、非常に面白いポジショニングでしたが、資金繰りは厳しい会社でもありました。若気の至りで、潰れたら潰れたでなんとかなるだろうと、割と楽観的に考えて移りました。ちょうどマッキントッシュのソフトウェアを大量に販売していた時期で、幸い資本もうまく入ってきました。今でいう上場、当時は店頭公開と言っていましたが、そこまで辿り着けました。正直申し上げますと、店頭公開を経験したので、また次へと思いましたが、色々タイミングを逸して、変化と言いながら同じ会社にずっといるというのが今までの経緯です。

I:店頭公開を経験して、その後現在のポジションに至るまではどのようなことをなさっていたのですか?

Y:マックのソフトウェアが相当売れたのですが、そういう状況になったら直接販売をしたくなるのがメーカーですから、いつまでもそのビジネスは続かないことになります。システムソフトのオリジナルの電子辞書シリーズを作ってみたり、システム開発をやってみたり、防災システムを開発したりと会社の中身を変えていきました。その頃私は役員でしたが、いろんなことをやってきた経験は少しなりとも今に生きていると思います。
株式会社APAMANショップネットワーク(現 APAMAN株式会社、以下APAMAN)が当社の株主になった時に、不動産のシステム開発を始めました。不動産業界にはITがまだ入っていない中で、それを変えていくというのは楽しく意味のある仕事だと思っています。業界全体のIT化やDXに本格的に取り組むため、今年から「SSクラウドシリーズ」というソフトを出しています。不動産システムはかつてはAPAMANさんだけに提供していましたが、アパマンショップのライバル企業にも提供し始めました。ビジネスプラットホームの変化に寄与する仕事ですので、こういうものを積み重ねていきたい。これからもまた(事業を)変えていかなくてはならない部分が出てくると思います。

1 2

MORE ON IFLATs関連記事