「求められるのは、自分の頭で考えて、自分で提案すること」SENマーケティング 杉山繁和代表ー後編

リーダーはいかにしてリーダーになったのか。リーダー自身の言葉からその理由を紐解くインタビューシリーズのVol.1では、杉山繁和氏に話を聞いた。現在、ご自身で立ち上げられたSENマーケティングで代表をされている杉山氏は、2020年6月まで資生堂ジャパンのCEOを務めていた。それ以前は、日系と外資とタイプの異なる消費財メーカー数社の、主にマーケティング領域でリーダーを歴任されてきた。「ちゃんとしたリーダー像をイメージとして描かれていると期待から外れているかもしれないという意味で申し訳ないのですが」とご謙遜される理由も含めて、示唆に富んだお話をお聞かせいただいた。2回にわたりその内容をお届けする。第1回では、過去のご経験について伺った。

なぜかリーダーの役割が回ってくる学生時代

IFLATs(以下I):これまでのご経験の振り返りを通じてリーダーシップについてお伺いしたいのですが、今につながる礎になったと思われるものを教えてください。

杉山氏(以下S): 自分から見た自分と人から見た自分にはどなたにもギャップがあると思います。若い時からリーダーあるいはリーダー的なポジションを押し付けられるというか、期待される機会が多くありました。なぜそうなのか、いまだにわかっていません。頼みやすいのか、機会に恵まれることが多かった。恵まれたというと、ポジティブに受け取っている風に聞こえますが、「また、そうなるの?」と。

若い時は時代背景もあって、いい子ちゃんでいるのがかっこ悪いと思ったり、気恥ずかしさとかを感じたりする時期もありました。敢えて機会があっても断ることも何回かありました。大学生くらいになると諦めも出て、期待をされるのであれば、それにこたえようと考える、意識の変化はありました。

I:学生時代から今現在に至るような仕事をするというイメージがありましたか?

S: 1987年の売り手市場、大量採用の時代でしたから、会社に入った当初はマーケティングに興味はありませんでしたし、リーダーをするとは意識もしていませんでした。仕事があって、ある組織に属して、給与がもらえればいいくらいの考えでした。就職活動も、領域を決めて、戦略的に自分のやりたいことを表現して、自分の将来を描いて、という今の方々がされているようなことはしていませんでした。

40種類のアルバイト経験が価値観を理解する糧に

I:学生時代の趣味や部活で今の仕事に生かされていると感じることはありますか?

S:趣味や部活よりもアルバイト経験が効いています。私が学生の時代は、勉強はほとんどせず、アルバイトをしていました。建設業、飲食業、家庭教師、政治家のパーティに数合わせで参加するなど、40種類ほど。アルバイト毎に関わる人も違えば、集まる人も価値観も全く違いました。様々な友人ができ、会話を楽しみました。消費者を相手にする仕事をしているので、多様性に対する想像力を働かせるための素地になりました。

I:複数の企業で、様々な役割を経験されていますが、振り返ってみて、どの仕事が自分の今の基礎になったとお考えですか?

S:新卒で入社したのはライオンでした。最初は営業を5年強していましたが、自分で時間の差配ができ、自由度もあり非常によかった。ただ、そこで50%くらいのパワーで働いていたのがバレたのか、本社に呼ばれ、マーケティングの部署に配属されました。この時点からマーケティングのキャリアが始まるのですが、最初の部長だった方の影響はとても大きく、今のマネジメントスタイルもその人のスタイルを踏襲しています。80歳近くになられていますが、年に2回くらい一緒にゴルフに行きます。非常にまじめな方なので、今でも上司部下のような感覚で叱咤されます。この方との出会いは大きな変曲点でした。

権限移譲とリーダーシップ

I:具体的に指導を受けた点で、一番響いた点はどこでしたか?

S:権限移譲に関して学ぶことが多くありました。とにかくやらせる、そして自分でどうするかをちゃんと考えさせる。私は営業からマーケティングリサーチにポっと入ったわけですから、基礎的な能力、例えば統計の知識や分析、様々な手法などを習得しなくてはならない。何を学びたいか、実際に挙がってくる課題にどう対処するかについて、ほとんど口を挟まれなかったです。マーケティング部外の広告などの関連部署とのやりとりで、意見の不一致が生じたときも、それが理由で怒られたことはありませんでした。

I:ご自身の経歴の中でも、それを実践されてきたのですね。

S:最初は、自分の好き嫌いにかかわらず、リーダーとしてふるまわねばならないという環境に置かれるようになり、会社によってはリーダーシップ研修を用意してくれ、様々なリーダーシップのスタイルがあるということを学ぶ機会もありました。

また、自分で(現場の状況に応じて)工夫してみたりもした。自分に一番しっくりきたのは、権限移譲をしながら、メンバーの力で組織を作り上げていったり、プロジェクトを達成したり、課題の解決に向かったり等、いわゆるヴィジョン型とかコーチング型のリーダーシップでした。先ほど申し上げた最初の上司の影響も受けています。

I:会社やお立場によって、求められるものは違ったと思いますが、今おっしゃられたことが基本になっているということでしょうか?

S:(これまでに勤めた5社の中で)ライオンや資生堂は日本の会社、コダック、ケロッグ、コカ・コーラは外資でした。特にコカ・コーラは部署ごとの仕事がマニュアル化されており、縦の組織の中で求められるコンピテンシーがクリアに整理されている。そういうところは、コマンド型でも組織が機能します。

会社にかかわらず、最終的に相手にしているのは消費者ですし、自分が日々向き合っているのは、人間としての部下や上司です。自分のスタイルを無理に変えるよりは、自分がしっくりする働き方をするのがよいと考えています。

失敗から気づいた、「ディスカッション」の重要性

I:時代背景の変化や、部下の年齢や経験が違っても、変わらないものでしょうか?

S:難しかった経験もあります。私が日本コカ・コーラに入ったのは2001年でしたが、2000年に全社規模のリストラをしていました。日本コカ・コーラの業績は悪くなかったのですが、グローバルの一組織としておそらく割り当てのようなものがあり、条件の良い(退職)パッケージも出たそうで、優秀な方が多数辞められていました。「マーケティングリサーチの機能の立て直しをしてください」と言われて入社することになったのですが、その当時のスタッフはリストラで数は減ったものの、5人いると聞いていました。しかしその内実が、リサーチ会社からの出向2名、派遣社員1名とアルバイト2名で、さらに私の後に続いて入った中途採用の人は社会人経験2年目でした。いわゆる正社員がほとんどおらず、どうしていいか分からないような状態でした。

与えられたリソースの中で戦っていかねばならないので、まずは一人ひとりにきちんと話を聞いてみると、各々に能力があり、人とのつながりもあって。その5人で内側を向いていてもしょうがないので、使えるものを使ってどう対処していくかいうことを考えました。コマンド型で進めても、その当時のメンバーだけでは解決できなかったでしょう。どうしたら問題解決ができるかをみんなでディスカッションしながら、時に外の力を借りる。手持ちのリソースを使いながら、どのように課題に向き合っていくかという点は、非常に学びになっています。

資生堂は就職人気企業ということもあり、能力の高い人もたくさんいましたが、そういう環境の中でも個々の評価の高い低い云々があり、人の出入りや移動も頻繁に起きていました。日本コカ・コーラ時代の経験で、選り好みすることなく、いただけるリソースはすべていただいて、実行することができるようになっていました。

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