「経験から逆説的に、小さく始めるビジネスモデルを生む」TKP 河野貴輝代表取締役社長 -前編

リーダーはいかにしてリーダーになったのか。リーダー自身の言葉からその理由を紐解くエグゼクティブインタビューシリーズのVol.6では、貸会議室・レンタルオフィスを全国で展開する「株式会社ティーケーピー」の河野貴輝代表取締役社長に話を聞いた。2005年の創業以来、拡大路線をひた走り、貸会議室というビジネスのトップランナーとして知られるTKP。そのビジネスモデルへと結びついた会社員時代の経験や、人を育て会社を成長させる河野流采配を語っていただいた。若手にも、管理職として働く中堅ビジネスパーソンにとっても学びの多いエピソードばかりだ。前編では会社員時代からTKP創業初期までを、後編では傘下の企業との関係性や働く上で必要なスキルを尋ね、気鋭の事業家の全貌を紐解く。

起業を念頭に置いての入社

IFLATs(以下、I):現在の考え方の起点は、いつ頃でしょうか?

河野社長(以下、K):振り返ると、子供の頃から染み付いてきた考え方や行動力が影響していると思いますね。私は子供の時からエジソンが大好きでした。4、5歳ぐらいからエジソンに関する全ての本を読み倒していました。電車での物売りに始まって電気を発明するに至るというそのストーリー、なぜなぜ?と考えていく姿が非常に面白くて。
加えて、事業家の祖父の動きをそばで見ていたことも、基盤になっています。

I:どんな学生時代を送りましたか?

K:中学の時はアマチュア無線に夢中になっていました。2つの周波数を使って相互に会話ができる、いわば携帯電話のような無線を作るなど、実践・創造することが日常になっていました。高校の時には、校内の弁論大会で優勝して県大会に出場しました。

I:河野社長は、新卒で伊藤忠商事に入社されていらっしゃいます。商社を選んだのはどういった理由からでしょうか?

K:自分で事業をしたかったので、企業の歯車になりたくなかったというのは大きいですね。当時、伊藤忠商事の為替証券部で目的別採用を実施していまして、私はその採用第二号でした。大学時代には、バイト代を全部株に使って株式会社を作るための種銭を作ろうとしたこともあり、最初からディーラーとして採用され、自分で証券の売買ができる伊藤忠商事は魅力的でした。自分で全部責任を取れる部署にいましたし、PLもリアルタイムで瞬時にわかりましたしね。単に商社の一社員というだけではなく個人としても裁量権がある環境におりました。
ファイナンスや投資の勉強をしようというタイミングで、カブドットコム証券(現:auカブコム証券)を立ち上げる機会に巡り合いました。商社に勤めながらネット証券を作る話が自分に舞い込んできて、そしてそこでベンチャーとも出会うことになるというのは、本当にラッキーだったと思います。

ベンチャーとの出会い

I:ベンチャーの空気は全然違いましたか?

K:違いましたね。ベンチャーは面白いなと思いました。当時26歳。みんなで寝袋を持参して1週間泊まりがけで準備会社を作りました。一つ目のベンチャー原体験です。本当に楽しかったです。

I:伊藤忠商事を辞められたあと、すぐに起業するという考え方もあったのかもしれませんが、いかがでしたか?

K:いま考えると、伊藤忠商事とカブドットコム証券時代がホップ。そのあとのイーバンク銀行(現:楽天銀行)創業がステップで、TKPがジャンプですね。一気にジャンプもいいけど、僕の場合は踏んでしゃがんだので、高く伸びたと勝手に思っています。伊藤忠商事に4年、イーバンク銀行に4年、そしてTKPを興す。今すぐ辞めて会社を作るというのもありですけど、一旦経験値を高めてからジャンプするという方法もあるよと、若い方に伝えたいですね。TKPを作ったのは32歳ですから。

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