他者が教えてくれた「わたし」

私は毎朝、NHKで放映している朝の連続テレビ小説を観ることが習慣になっている。昨年の春から秋にかけて放映されていた「エール」は、私の趣味である音楽をテーマにしていたことや、様々な苦境であっても立ち上がろうとする人々にエールを送る、という作品の根底にあるテーマがコロナ禍の私の心情に響いたこともあり、今まで見た朝ドラ作品の中で3本の指に入るお気に入りとなった。
「エール」の中で、忘れられない台詞がある。作曲家の古関裕而氏をモデルにした主人公の裕一は、吃音があることや周囲に比べ授業に追いつけていないことから、幼少期は自尊心が低く、とても引っ込み思案だった。ある日の音楽の授業で、作曲の宿題が出る。宿題に取り組む裕一の姿勢と作品のクオリティから、小学校の担任は裕一の音楽の才能に気づいた。そして自分に自信のない裕一に言葉をかける。「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること。それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く」。裕一はこの言葉に救われると同時に、自分の好きな「作曲」が、人より得意であることに気づき、音楽を探求し続け、作曲家として大成していく。
全てで100点満点のスキルを持つ必要はなく、1つでも高得点の項目を見出し磨くことが自分の「生きやすさ」に繋がる、という主旨であると私はこれを理解した。この台詞は、当時SNS上で共感の声が集まっていたことから、多くの視聴者が救われたことが伺える。加えて、「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできる」という、相対的に自分の「できること」を自分ひとりで見つけることは意外と難しいことだと思う。いわゆる「得意」なことに関する自己理解や自己認識を得るためには、他人の「できること」と自分の「できること」を比較してみたり、自分の「できること」を他人がどう捉えているのかを把握したりするプロセスを経る必要がある

先日大学生と話す機会があり、新卒の就職活動が話題に挙がった。振り返ると私が最も自己理解に悩んだのは大学4年生の就職活動で取り組んだ「自己分析」だった。
当時はリーマン・ショックの翌年。就活氷河期真っ只中だった。周りに公務員を目指す友人や大学院へ進学する友人が多かったこともあり、情報収集から自己分析まで孤高奮闘していた。業界・職種は絞らず説明会や採用面接を受けていたが、唯一MR職は選考を多く申し込んでいた。中学・高校で個人種目の卓球に打ち込んでいたり、大学の吹奏楽サークルでもメンバー不足ゆえ1つの楽器を単独で担当していたりした経験から、責任を持ってひとりで突き進む営業職に関心を持ったのと、困っている人のためになる仕事だから、という安直な考えからだった。
ところが一向に選考が進まない。面接で自分なりに熟考した自己PRを説明してみるものの、面接官の反応は涼しい表情。とある会社の面接では「君は職種を変えて受け直したほうがいいかもね」と送り返されたこともあった。
就職活動も中盤に迫ったある日、某人材会社で自己分析セミナーが開かれることを知った。このタイミングで自己分析し直すのは怖い、と思う一方で、なかなか採用通知がもらえず八方塞がり状態だった私は、意を決し参加することにした。セミナーでは一通りの自己分析手法を教わり、最後に同じグループの参加者に対し自己PRを発表して終了した。内容はHOWTO本で散々見た内容と同じで、やり方はわかっているんだけども…と心の中でぼやきつつ、セミナー後に講師に声をかけた。自己分析はできているつもりだが、なかなか選考が進まない。質問というか悩み相談に近かったが率直に今の想いを伝えたところ、「どんな内容が聞かせてほしい」と言われたので、自己PRを聞いてもらった。すると講師は「なんだろうね、説得力がないのかもね。目指す業界とか、職種とか、もう一度考え直したら?」とバッサリ。2月の寒空の下、半べそで帰路に着いた。
しかし立ち止まっていても状況は変わらない。目指す方向性を見直すにあたって、まずは自己分析をやり直すことにした。客観的な意見をもらうべく、大学の先輩・友人、バイト先の店長に聞いてもらう。その中で、とある友人が「MRの仕事はできるかもしれないけど、下級生に寄り添ってあげたり、みんなのために頑張ったりするタイプだから、他にも合う仕事あるよ」と断言した。この時、強みとも思っていなかった(むしろ存在に気づいていなかった)周囲に共感し、メンバーを代表し意見具申や改善策を提案するような、グループの協調性を重んじる自分の特性が他人からは強みであると評価されたのだった。
アドバイスを参考に、20数年間の人生の中で友人に評価された「共感力・協調性」に関するエピソードを洗いだし、紡ぎ合わせ、新しい自己PR文を作成した。読み上げると、新たに知った自分のことだからだろうか、ややこそばゆかったが、次第に馴染み、他人からもらった言葉だからこそ自信を持って言えるようになったことに気付いた。
リスタートとなった就職活動では今まで興味のなかった業界もエントリーするようになり、その中に鉄道業界も新たに加わった。今私が所属する会社の最終面接を受けたときは、自己PRや志望動機を冷静に自信を持って話せたのと同時に、軽い冗談を交え自分らしさも伝えられたためか、とても楽しかったのが今も記憶に新しい。

他人から自分を評価してもらうのは、とても勇気がいることだが気づきが大きい。「エール」の裕一のように、自分では気づきもしなかった好きなこと・得意なことが明らかになればそれを磨けばいいし、逆に人より苦手なことが明らかになったとしても、「私は●●が苦手だ」と理解することで救われ、またその気づきを糧に「ここまでできるようになろう」と新たな目標を持ち行動を起こすこともできる。いずれにせよ、いわゆる「ジョハリの窓」でいう「自分は知らないが他人は知っている自己(behind self)」と出会うことは、「生きやすさ」に繋がると私は考える。
現在、私はIFLATsの活動を通じ社外の人との接点が増えている。会社の中では常識だと思っていたことが当たり前ではなかったり、逆に会社の中で自分は未熟だと思っていたスキルが世の中的には優れていたり…いくつになっても、いかに自分が狭い世界観を持ち、使えるものさしの種類が少なかったのかと痛感する。きっとこのプロセスはいくつになっても続けるのだろう。

(IFLATsフェロー 山脇あゆ美)

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この記事を書いた人 山脇 あゆ美
IFLATsフェロー。
2011年小田急電鉄株式会社入社。沿線事業部に配属され、カルチャー教室、リラクゼーション店舗等の沿線施設の運営管理・販促企画、ペットケア事業の企画立案・立ち上げを経験。2016年に異動した総務部には3年間在籍し、企業法務、コンプライアンスを担当した。2019年から経営戦略部にて新規事業創出を担当。
音楽への関心が強く、幼少期から高校まではピアノ、大学時代は吹奏楽とバンドでベースを演奏。近年はミュージカルを中心に鑑賞。

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