リーダーシップインタビューVol.3-1:日本M&Aセンター 三宅卓氏 「ビジョンを明確にしてコミュニケーションを徹底する」

リーダーはいかにしてリーダーになったのか。リーダー自身の言葉からその理由を紐解くインタビューシリーズの第3回では、日本M&Aセンター社長の三宅卓氏にお話を伺いました。昭和、平成、令和と社会もビジネスモデルも激変していく中、常にアグレッシブな経営姿勢でトップランナーとして走り続け、日本の中堅・中小企業のM&A実務における草分け的存在として活躍されています。インタビューの初回は日本M&Aセンター設立までの原点となるご経験について尋ねました。

写真家を志した学生時代

IFLATs(以下I):会社に入るまでの学生時代のことで、いまのご自身につながるご経験についてお聞かせください。

三宅(以下M):中学、高校、大学と写真をやっていました。ドキュメンタリー写真家を目指していて、ロバート・キャパやアンリ・カルティエ=ブレッソンらが作ったマグナムという写真家の団体があるのですが、それに「入ってやる」という勢いでした。社会派の写真なので、当然いろいろな本を読んで深く物事を考える。何百枚という写真の中から社会の状況、真実を選び、人に訴えかけるようにレイアウトして見せる。ストーリーがないと相手に伝わらないですから、その経験が仕事に対してとても役に立っています。
中学の頃は単にカメラが好きで触っていました。高校あたりから様々なことを考えるようになり、大学で本格的に社会と向き合い、社会の状況を切りとることを始めました。
結局ビジネスというものは、状況をどう切り取っていくか、どこにビジネスチャンスがあるのかということを分析していくものです。写真のレイアウトをするのと一緒で、ストーリーを作ってそれが一番表現できるものを作って見せ、しゃべることです。写真を通じてプレゼンテーション能力が身につきました。

I:写真は、おひとりでなさっていたのですか?それとも仲間と?

M:仲間はいました。夕張で合宿したり、広島へ行ったり。夕張炭鉱へ行けば斜陽産業って何なのか、そこでうごめいている人、どんどん貧困になっていく人たちの人生を、広島なら原爆デーがあるので広島って何なのか、そういうものを切りとって考えていました。

I:その後、自分が納得できるレベルまでやり遂げられたという感覚をお持ちですか?

M:僕は、3つの写真をやっていたんです。ドキュメンタリー写真がもちろん一番本気で、あとの二つは趣味でした。二つ目は、エーリヒ・フロムというドイツの哲学者がいるのですが、『自由のライヒ』という彼の書物から影響を受けたものです。ライヒはドイツ語で国という意味ですが、要は「疎外からの解放」ですね。「自己疎外からの解放で自由になる」という抽象的な哲学テーマを写真で表現していました。三つ目は、「日本のエロス」をテーマとしたものです。もともとドキュメンタリー志向なので、女性をきれいに撮るという趣味はありませんでした。モデルに選んだ子のプロフィール写真として使われるものを撮ったときに、農村で長襦袢を着てもらい造形的に撮ったことがありました。とてもいい出来で、「俺も腕上がったな」と思ったのですが、後で改めて考えたら、その子の演技力で撮らされていたというのに気が付きました。その子はオーラがすごくて、結局「装苑」の専属モデルになりました。自分と同じ22、3歳の子に撮らされているようでは、とてもじゃないけどマグナムには入れない、ロバート・キャパにはなれないと気付いて、きっぱりやめました。それから大学に戻りましたが、プロになるつもりですから大学も行ってなくて、すでに留年していました。

コンピューターに目を付け就職へ

M:暗室だけ使いに大学に行っていたようなものですから、2年間でほぼ単位0。1年からやり直して卒業しましたが、「自由のライヒー疎外からの解放」というテーマの写真活動を通じて、様々な作業環境を見に行く中で、「疎外からの解放にはコンピューターが役に立つのではないか」と考え始めました。そこで、コンピューターの分野に進んで、コンピューター会社に就職しました。

I:当時はまだコンピューターは、そう出回っていなかった時代では?

M:そうですよ。フロッピーディスクすらなく、データの紙テープを切り貼りでつないでいた時代ですから。

I:「疎外からの解放」で、そこに気が付くというのはすごい発想です。

M:昭和50年初期ですから、ちょうどオートメーション、大量生産でみんなひたすら単純作業をやっていた。単純作業をすることで人間性が疎外されていく、というテーマがあって、そこから解放するにはコンピューターを使って機械化していく。人間は創造性を発揮できるような、人間しかできない仕事をしていく、それが疎外からの解放につながるのではないか、と。青臭い話ですが、大学生なりに考えてそっちへ進んだという感じです。そういう意味では、写真も複数のテーマで撮っていたことで助けられています。

I:それからオリベッティに入社されて、今の日本M&Aセンターの会長である分林氏に出会われたのですか。

M:最初の配属先から5年ぐらい、(分林の氏の下で)かなりハードに働きました。ソフト部門に入ったのですが、1年で適性がないという判断を下されて、営業に出された。営業だけは行きたくなかったのですが。
写真で挫折し、システムエンジニアで挫折し、挫折しっぱなしですよ(笑)。

写真の手法でトップセールスマンへ

I:営業をやりたくなかったとは、今の社長からは想像できないですが。

M: 当時は電話も取れないくらいしゃべるのが苦手で、さらに営業という仕事をバカにしていました。(営業に回されたので、)どうしようかと考えて、写真の手法でしゃべらなくてもいいプレゼン資料を作りました。リアルなものと写真を組み合わせて、ストーリーを完璧に作って順番にみてもらい、何が言いたいのか分かるように工夫しました。そうすると、ストーリーが腹に落ちるので、しゃべれる。見せたらいい、と思ったら、気が楽になってしゃべれるのです。説得力があるし、1年目からトップ営業になってずっとトップランナーでした。
その時、営業課長だった分林(会長)が、会計事務所のソフトのベンダーに転職するので付いてきてくれ、と。そのベンダーが10人くらいの会社で、位も上がり、平社員だったのが部長になるわけです。オリベッティに辞表を出しましたが、トップセールスマンだったから辞表を受け取ってくれません。「そんなん、会社の勝手やから」ともう会社には出社せず、次の会社へ行くようになりました。
1カ月くらいして、「この小さなビジネスやっていたら一流のビジネスマンにはなれないな」と思ったのです。理由の一つ目はビッグビジネスをやっていないことにありました。会計事務所に売るシステムだから1,000万円位の規模です。10億円、20億円のシステムを担当していませんでした。二つ目はマネジメントをやっていないことです。10名の会社ですから、マネジメントの勉強もできないと思って、オリベッティに戻りました。

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