「最も重要なことは、ビジョンを描き、選択、決断すること」チームスピリット 荻島浩司社長ー前編
ビジネス転換への決意と心境
I: 決断ということで、先ほどおっしゃっていた、ヒリヒリしていた時期とは具体的にどのような状況だったのでしょうか?
O: 一番大変だったのはいつなのかというと、SaaSビジネスに踏み切る前の、調子がよく登り坂の時です。方針転換するとお金はどんどんなくなっていきますが、それ以上に成功しているものを辞めるのはすごく勇気が必要。成功していて余裕がある時に新しいことに踏み出さないと、製品や事業のライフサイクルを考えても、必ず下り坂の時がやってくることはわかっているわけで、ダメになってからチェンジする方が難しいと思ったんです。わかっているけれど今たまたま好調でそれにしがみついている、という状況が一番辛かったですね。しかも何をやればいいのか考えなければならないし、成功するかもわからないわけです。うまく行っているものを辞め、わからないものにシフトするというのはおかしな話で、それが非常にヒリヒリした感覚でした。
I: そのヒリヒリした感覚がある中でも、SaaSビジネスに舵を切れた1番の理由とはなんだったのでしょうか?
O: きっかけは、2007年頃に、ASP(アプリケーションサービスプロバイダ)という、その後現在までSaaSと呼ばれているものが生まれました。要するに、サーバーにアプリケーションを入れる形から、インターネット上にそういったものがあるという状態に変わっていったわけです。私はずっとIT業界にいますが、最初の会社は、メインフレームが中心でデータ入力に紙テープやカードを読み込ませていて、PCが登場してからはレコードサイズの8インチのフロッピーディスクを使っていました。この世界は、10年単位で技術が変わり業界での登場人物や会社も変わっていくのを見てきました。それを考えますと、2011年頃というのは、SaaSビジネスを出すにはちょうどいいタイミングで、移りたいと思ったわけです。時代背景のほかにも、もう一つ。受託開発で高い技術を提供していましたけど、実は価値を提供しているのではなく労働力を提供していた。言い方を変えると、うちの社員も長時間労働になってしまうこともあり、このまま10年も20年も続けていけませんし、元々やりたいことでもない。だけど経営として利益は出ている。そこに矛盾を感じていたので解消したいと思い、自社サービスに移ることを決断しました。
現在のビジネスへの道程
I: 荻島社長の場合は、どのように今の在り方へと辿り着いたのですか?性格的な面や、キャリアの部分を振り返っていかがでしょうか?
O: 性格面では、自分の中のベースとして天邪鬼なところがありまして、人に言われたことをやるのはすごく苦手です。学校の勉強も全くできませんでしたし、学校の勉強が、世の中に貢献できるのかをつい考えてしまい。何の役にも立たないと思っていたわけです。ただ、これまでの経験に照らし合わせて言えば、営業として見積もりを作る時に足し算引き算はできなければいけないでしょうし、事業には会計の知識が必要になります。経験を通じて、世の中の学問が必要だということを理解していきました。自分からやろうと思うことは結構集中してやるたちです。
I: 仕事面ではどうでしょうか?
O: 元々デザイナーになろうと専門学校へ行きましたが、デザインがやりたかったわけではないことに後から気がつきました。自分がやりたかったことはデザインではなく、今でいうところのデザイン思考のマーケティングだったと。その面白さに気がついてからは、かなりのめり込みました。インディペンデントコントラクターとして、メーカーへ出向いたときに、製品は作れるけれどマーケティングが全くできない会社で、結果として私がマーケティングし、ほぼ事業自体を自分で動かしていました。その後SaaS製品を作った時も、どうしてこんなに売れたのか改めて考えると、やはりいい製品を作るだけではなく伝えられるマーケティングが必要で、それを軸に据えた事業をできたからだと思います。
I: マーケティングを軸とした事業というお考えは独立の頃に確立されたものですか?
O: いえ、全然そんなことはありません。独立したのは96年で、インターネットが商業利用され始めたタイミングで、それを使ったマーケティングやサービスを作りたいと思っていました。クーポンを発行するグルーポンのようなサービスや、キンコーズとWeWorkを組み合わせたようなシステムを作りたいと。当時はインターネットを使ってマーケティングそのものをお客さんに提供するというビジネスを考えていたわけで、現在は自分の会社にマーケティングを取り込んだ事業をしていますから、当時はまだ漠然としたまま。今の姿を想像していたわけでは全くないです。
(Vol.2-1終了)
プロフィール
荻島浩司氏:1982年デザイン専門学校を卒業。同年デザイナーとしてデザイン事務所に就職。翌年プログラマーとしてソフトハウスに転職。その後、PCを使ったファイリングシステムを企画し、取締役事業部長としてネットワークソリューション事業部を統括。96年、チームスピリットの前身となる有限会社デジタルコーストを設立。インディペンデントコントラクターとして株式会社東芝および東芝ソリューション株式会社でプロデュースおよびコンサルティングに従事。2011年より、働き方改革プラットフォーム「TeamSpirit」を立ち上げ、SaaSビジネスに参入。