「経営者としての礎を築いた父の道標」エスクリ 渋谷守浩代表取締役 ー前編
リーダーはいかにしてリーダーになったのか。
リーダー自身の言葉からその理由を紐解くインタビューシリーズのVol.7では、ブライダル施設を運営する「エスクリ」で代表取締役社長を務める渋谷守浩氏に話を聞いた。建設業で創業114年の歴史を誇る家業「渋谷」の社長として舵取りをする中で、突如「エスクリ」とのM&Aを果たすなど、大胆な采配を振るう敏腕経営者として知られる。現在に至るまでの経緯を初め、渋谷氏が大切にしてきた考えや、コロナ禍における経営まで、ざっくばらんに語り尽くしていただいた。多くのビジネスパーソンの心に響くコミュニケーションの仕方や、仕事への向き合い方は金言ばかりだ。前編では、経営者としての基礎を築いた学生時代から家業の「渋谷」時代のことを中心に、後編では、渋谷流経営力の真髄を発揮する「エスクリ」での出来事とコロナ禍の方針、そして今後についてお聞きした。
劣等感が自らを変えた、学生時代の光景
IFLATs(以下、I): 学生時代や社会人を振り返って、今の渋谷社長の考え方のベースになった経験や出来事はどんなことでしょうか?
渋谷(以下、S): 私は100年企業の4代目に生まれました。その位置づけにより、子供の頃は世間が狭いから勘違いしていたんです。「私って、いいとこの子で、いい車に乗れて、何にも困らず一生安泰」と。それが、一歩外へ出たらただの田舎者。奈良県桜井市という人口6~7万人の田舎で育っただけだから、世間を知らず。近所のおじちゃんおばちゃんからは、「渋谷のぼんぼん」とずっと言われて、お金持ちの子供だと思っていました。でも大人になるにつれて、例えば大阪の北新地でクラブに行って一杯飲んだ金額に腰を抜かしたり、世間を知るようになったりすると「あれ?私は一体誰なんだろう」と思い始めて自分や実家に違和感を覚え始めました。そこで私の会社は、一体世の中のどんな位置づけなんだろう?と考え始めました。まず、桜井市でどのぐらいの位置付けなのかと見ると、まぁまぁ。次に奈良県で見たときにはそれなりに落ちる。関西へと広げたら、もう影も形も見えない。これはまずい、やっぱりあかんわと。私はもっと違う広い世界を見に行かないと!と考えました。今の経営者としての自分があるのは、劣等感がきっかけです。自分ではそれなりのボンボンだと思っていたのが、それなりどころか、ボンにもならない。錯覚し、バーチャルの中で生きていたことに20代前半で気づかされました。
I: 劣等感を抱いた時期は、ご自身の会社に勤めていた時ですか?
S: 専門学校へ進んだ学生の時ですね。高校を卒業した後、住宅都市整備公団(現UR)に勤めていました。今思えば感謝しかないですけど、親父は私のことを非常によくわかっていて、全て道標をつけてくれていました。なぜかと言うと、私はずっと格闘技ばっかりして全く勉強してなかったし、興味もなかった。それで、親父に進路を相談したら「大学行っても遊ぶだけでろくな大人にならないから、建築屋を継ぐのだったら、建築士や施工管理技師士の免許を取るために、建築の専門学校の夜間に通って昼は働け」と。何もこの時代に昼働くってそこまでせんでもと思いましたが、親父は「ちゃんとした経営者になりたかったら、取り戻さんとあかんで」と。勉強せぇと言われたこともないし、やりたいようにさせてもらってきて、大学生になったらあと数年脛をかじって遊んでと思っていましたが、親父の「お前もそろそろ取り戻さんとあかんで」という言葉が非常に腹落ちしまして、昼は公団で仕事をして、夜に修成建設専門学校に通いました。
I: お父様の提案で決めた進路ですが、専門学校生活には満足していたのですか?
S: ここでの経験が強烈に私の人生を変えました。言葉を選ばずにいうと、私のように家がそれなりな生徒はそう多くなかったと思います。夜間に通っている子たちは、みんな昼働いて自分で稼いだお金で頑張っている人ばかりです。努力家苦労人の集団の中に、ポツンと私みたいな馬鹿が入ってしまったんです。今でも覚えていますけど、まず教室が臭い。皆汗だくになって昼間働いているから、学校に来た時にはもう臭いんですよ。私は綺麗好きだから臭いのが嫌いで、窓開けてって言うたら、「お前そんな贅沢なこと言うて」と同級生が叱ってくれる。いまだに親友は当時の同級生です。そこに通って自分の馬鹿さ加減に気がつきました。同級生のくたくたになって寝ている姿、学費が払えないから借りてでもなんとかせなあかんという状況を見聞きして、親父の言った「取り戻す」ということは、これなのかと。お金の大切さや、自分の過ごしてきた無駄な時間を、夜間の専門学校に行ったことで気付かされました。これは大事に勉強しようと思いましたし、お金持ちでは決してなく、ただの小さな会社のいつ倒産してもおかしくないような自営業の単なる息子だと自覚しました。
I: 勉強面から得たことで、今に通じるものはありますか?
S: まずは、真剣にみんなと一緒に勉強しようと思えました。本来の私だったら、勉強も嫌いだったし、建築士の免許や施工管理技士の免許なんて絶対取っていないです。修成建設専門学校は卒業するのは案外難しく、建築士や施工管理技師士の免許の試験で合格するために勉強しましたが、正直苦しかったです。そこでもう一つ気づいたことが、真面目に勉強するってしんどいなと。学歴よりも人生稼いだ者勝ちだと思っていましたが、高学歴な奴らってすごいなと。初めて勉強して気づきました。私のやってきたことって全部ダメだなって。私を知り尽くした親父の道標に、一本取られたなという気持ちになりました。